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本殿木造三間社流造千鳥破風向拝付

 八幡大神を奉斎した建物で正暦二年 (九九一)勅願により宇佐の神を勧請して創建されました。嘉暦・弘治・万治・亨保・文化と数回に及ぶ修復造替を経て明治二十四年・昭和十三年・昭和五十三年屋根葺替が行われた。先年の葺替により従来の檜皮葺を銅板葺、軒付檜皮に改めた。
 平成三十年九月の台風により、本殿鬼瓦が落下破損。八幡瓦製作が皆無の為、令和元年五月に銅製に改めた。

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拝殿木造入母屋造

 鎌倉時代の初期、文治三年 (一一八八) 源頼朝公が近江の守護職、佐々木六角に命じて造営した。元文二年・文化二年の改築を経て明治二十四年・昭和十三年・
同五十三年に屋根葺替を本殿と共に実施。
 先年の葺替で銅板葺に改めた

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>楼門上部屋根下の猿

楼門(随神門)木造入母屋造

 近江の守護職 佐々木六角氏が延文四年 (一三五九)に造営し、左甚五郎作の彫刻、が施されていた。
 安政二年左義長により焼失したが、同五年に再建。従釆にも勝る彫刻が施され四方猿の御門とも称している。
 昭和四十五年八幡まつりで上部を焼失したが、翌四十六年復興。
 屋根の檜皮葺を銅板葺に改めた

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能舞台木造入母屋造

 明治三十二年(一八九九)新築。
 鏡板の老松の絵は北垣光鱗画伯の筆
屋根瓦が経年劣化の為、落下の恐れがある事が判明し、令和二年八月に屋根瓦葺替工事を実施した。

 

 能舞台と日触詣

能舞台新築に併せて、当神社ゆかりの能楽「日觸詣」を観世流により作製。明治三十二年十一月二十八日に演じられた。
能楽「日觸詣」は
 作者 西川貞二郎、添削 須川信行
 節付 林喜右衛門、校訂 観世清廉 である。
以後、久しく演じられなかったが、平成五年七月、九十三年ぶりに復活、上演された。

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木造明神鳥居滋賀県指定有形文化財

 明治四十一年修理工事中に額束上の穴から発見された建立棟札及び社蔵の文書から元和二年(一六一六)造営が判明。時の代官、神主、材木寄進者、大工及び鍛冶の名前などが記載。八幡の大工高木作右衛門の名も記されている。
 柱頭に台輪を載せ、笠木上に屋根を設けるなど特異な形式であるが総高八、八メートルの大規模な鳥居である。
 建立後、慶安元年(一六四八)、享保元年(一七二一)、文化二年(一八〇五)文政十三年(一八三〇)に修理された記録があり、度重なる修理を経て、昭和四十一年(一九六六)解体修理し現在に至る。

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手水舎木造入母屋造

寛文九年(一六六九)銘の手水鉢。染川星厳筆の「不如洗雲心」の銘がある。
安政五年(一八五八)再建

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絵馬殿木造切妻屋造

文政十二年(一八二九)再建。明治十八年(一八八三)改築。
昭和六十年、新社務所新築に伴い、現在の位置に移築。